ことわざ
鰯の頭も信心から
意味
つまらないものを頑なに信じる人に対する皮肉のことば。
類句
鰯の頭も信仰から
白紙も信仰から
竹箒も五百羅漢
対義
豚に真珠
猫に小判
補説
日本には節分がありますね。この節分の儀式として、現代でも豆まきや恵方巻がポピュラーですが、焼いたイワシの頭を、鋭いトゲのある柊の小枝と一緒に玄関先に飾る、「柊鰯」というものもあります。
なぜそんなことをするのかについては「鬼がイワシを焼く時の煙やニオイを嫌がるから」という説や「焼けたイワシのおいしいニオイにつられてやってきた鬼の目を、鋭い柊の枝で突く」と諸説ありますが、この柊鰯を引き合いに出し、取るに足らないとされるものを頑なに信じる人を、揶揄するニュアンスで用いられていることわざが「鰯の頭も信心から」です。
ただ、昔は「一見つまらないものでも、信じていればご利益がある」というプラスの意味でも使われており、全く正反対の意味を持った、珍しい言葉としての地位を確立していました。
これは、「イワシの頭を崇めるのは迷信」という見方をする人がいる一方で、「信仰は人それぞれ」とする風潮があったためと考えられます。
「鰯の頭も信心から」の使い方

おや、どうしたの猫くん。お怒りだね。

最近小銭を貯金箱に入れて、高級魚干物セットを買うために貯金してるんだけど、それを「鰯の頭も信心から」ってバカにされたんだニャン!

それは腹立たしいね~!僕はその心がけ、すっごく素敵だと思うよ!僕も協力するから、2人で一番高い干物セット買って食べて、自慢してやろう!
「鰯の頭も信心から」の例文(文学作品などの使用例)
- ・・・まいた豆を年の数だけ拾って自分が食う、これが豆まきじゃ」と重松先生は言う。「鰯の頭も信心から」投げた豆を拾って食べるような人には、きっと鬼は来ないだろうな。家の中で家族が・・・願成寺 優(著)『20世紀の忘れ物』
- ・・・某隊長が伝え聞かれて「鈴木が脚気に糠が効くといったそうだが、馬鹿げた話だ、鰯の頭も信心からだ、糠で脚気が癒るなら、小便を飲んでも癒る…」と、ある新聞記者に話されたことがあった・・・鈴木 梅太郎(著)『ヴィタミン研究の回顧』
- ・・・せめて偉い人たちに、人間らしさや教養をもってほしいと、ないものねだりをしていたようである。日本の偉いさんの教養は、ゼロに等しく、偉くない人たちは偉いさんの言葉に、鰯の頭を信心する信者なみに従っていた・・・古山 高麗雄(著)『兵隊蟻が歩いた』
キーッ!悔しいニャン!絶対許せないニャン!