ことわざ
明日ありと思う心の仇桜
意味
「明日がある」と思って先延ばしにしていると、桜の花が散るように機会を失ってしまうことのたとえ。
類句
朝に紅顔ありて夕べに白骨となる
諸行無常
無常迅速
世の中は三日見ぬ間の桜かな
対義
明日は明日の風が吹く
明日のことは明日案じよ
明日はまだ手つかず
補説
仏教の「浄土真宗」の開祖、親鸞上人のエピソードをまとめた『親鸞上人絵詞(えことば)伝』に登場する「あすありと思ふ心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」という歌から生まれたことわざです。
仇桜とは散りやすい桜の花のことを指し、このことわざでは、いつどうなるかわからない、儚く無常であることの例えとして使われています。
読みは同じまま「徒桜」と表記されることもありますが、意味も同じです。
「明日ありと思う心の仇桜」の使い方

猫くん、オラは犬かきができる猫になる!って始めた水泳教室だって、三日坊主だったじゃない。長続きするの?

ウ~ン。毎日、明日は行こうって思ってるんだけど、次の日にはまた明日行こうになっちゃうニャンね。そうこうしてるうちに退会になってるニャン。

明日ありと思う心の仇桜って言葉があるんだよ。いつもいつもチャンスがあるわけじゃないんだから、その日できることを毎日がんばらないと。
「明日ありと思う心の仇桜」の例文
- ・・・明日ありと思ふ心の仇桜、夜半の暴風もこの身にあたる私へ、お経文をお授けくださるとは有難い結縁と存じまする・・・河竹 黙阿弥(著)『歌舞伎 蔦紅葉宇都谷峠』
- 明日でいいや、とスポーツジムへ行くのを先延ばしにしているうちに、月謝だけ払うのが勿体なくて退会することになった。明日ありと思う心の仇桜は、身近にあることなのかもしれない。
- 多少面倒でも、明日ありと思う心の仇桜だと思って、今日やるべきことは今日やるべきなのだ。
今日見た「ニャンパンマン」の映画がかっこよかったから、ボクシングを始めようと思ってるニャン。