ことわざ
朝に紅顔ありて夕べに白骨となる
意味
元気いっぱいに頬を染めている若者が、夕方には骨になっていることもあるほど、人の死は無常で、予測ができないことのたとえ。
類句
昨日の淵は今日の瀬
昨日の花は今日の塵
補説
平安時代中期に作られた『和漢朗詠集』に収録されている、藤原義孝の詩の一節「朝に紅顔あって世路に誇れども、暮に白骨となって郊原に朽ちぬ」という言葉から生まれたことわざです。
紅顔というのは血色がよく、生命力に満ち溢れている様子を表しますが、朝にはそうして元気だった人も、その日の夕方には白骨となっていることもある、と、人の死は予測ができないもの、という無常を説いています。
「朝に紅顔ありて夕べに白骨となる」の使い方

おや、猫くん大暴れだね。もしかして、昨日入ってきた蚊に狙われちゃった?

うん、しつこくオラを狙ってくるから、やっつけてやったニャンね。

あ、ほんとだ…昨日はあんなに元気だった蚊が…。
僕は今、朝に紅顔ありて夕べに白骨となる状況を目の前で見てしまった…。
「朝に紅顔ありて夕べに白骨となる」の例文
- 朝に紅顔ありて夕べに白骨となる、という言葉があるが、その日の朝まで元気だった祖母は、その言葉通りに人生を終えた。
- 彼はいつも遊んでばかりいるが、それは「朝に紅顔ありて夕べに白骨となる」がモットーだからだという。意味をはき違えていないか、私はいつも心配だ。
- 朝に紅顔ありて夕べに白骨となるともいうし、人生は無常なものだから、どんなことがあっても後悔しないように楽しく生きたい。
アッ!こいつめ!…よし、やっつけたニャン!